本レポートは、富士フイルムホールディングス株式会社(以下、富士フイルムHD)の環境への取り組みとパフォーマンスについて、特に「気候変動」「資源循環」「生物多様性」の3つの重点分野に焦点を当て、包括的な分析を行うことを目的とする。企業の環境スコアリングに必要な詳細情報の収集と、学術的研究に資する水準の分析を提供することを目指す。分析にあたっては、富士フイルムHDの統合報告書、サステナビリティレポート、環境報告書などの公式開示情報、競合他社の報告書、ESG評価機関のデータ、業界の先進事例などを参照し、指定された要件(日本語、見出しレベル4までの構造化、表・箇条書き不使用の記述形式、参考文献形式)に従って記述する。
富士フイルムHDは、ヘルスケア(メディカルシステム、バイオCDMO、ライフサイエンス)、マテリアルズ(高機能材料、グラフィックシステム・インクジェット、記録メディア)、イメージング(写真、光学デバイス・電子映像)という多岐にわたる事業セグメントを展開している。この多様な事業ポートフォリオは、同社の環境フットプリントの特性と、環境戦略における優先順位を理解する上で重要な背景となる。本レポートでは、これらの事業活動が環境に与える影響と、それに対する同社の戦略的対応を詳細に検討する。
富士フイルムHDは、持続可能な社会の実現に向けたグループ全体のCSR計画「Sustainable Value Plan 2030(SVP2030)」に基づき、環境課題への取り組みを推進している。本章では、気候変動、資源循環、生物多様性の各分野における具体的な目標、戦略、活動内容を詳述する。
気候変動は、事業継続と社会の持続可能性に対する重大なリスクとして認識されており、富士フイルムHDは脱炭素社会の実現に向けた積極的な取り組みを進めている。
富士フイルムHDは、SVP2030において、気候変動対策に関する野心的な目標を設定している。具体的には、製品ライフサイクル全体(原材料調達、製造、輸送、使用、廃棄)におけるCO2排出量を、2030年度までに2019年度比で50%削減することを目指している。同時に、自社拠点でのエネルギー使用に伴うScope 1およびScope 2のCO2排出量についても、同期間内に50%削減する目標を掲げている。さらに、長期的な視点として、2040年度までにScope 1およびScope 2のCO2排出量ネットゼロを達成するという目標も設定している。これらの目標は、パリ協定の1.5℃目標達成に整合するものとして、科学的根拠に基づく目標設定イニシアチブ(SBTi)の認定を取得しており、同社の気候変動対策への強いコミットメントと、投資家やステークホルダーに対する信頼性向上に寄与している。これらの目標達成に向けた活動は、「Green Value Climate Strategy」という枠組みの下で推進されている。
2022年度の実績を見ると、Scope 1およびScope 2のCO2排出量は合計101万トンとなり、2019年度比で8%の削減を達成した。一方、Scope 3排出量は904万トンで、2019年度比4%の削減となった。このデータは、同社の気候変動影響の大部分が、自社の直接的な事業活動(Scope 1, 2)よりも、サプライチェーンや製品の使用・廃棄段階(Scope 3)に存在することを示唆している。具体的には、Scope 3排出量がScope 1, 2排出量の約9倍に達しており、ライフサイクル全体での50%削減目標 の達成には、サプライヤーへの働きかけ、製品設計の改善、使用段階でのエネルギー効率向上などが極めて重要となる。これは、自社努力だけでは達成が困難な課題であり、バリューチェーン全体での協調的な取り組みが不可欠であることを意味する。また、2022年度時点での削減率(Scope 1, 2で8%、Scope 3で4%) から判断すると、2030年度の50%削減目標 を達成するためには、今後の削減ペースを大幅に加速させる必要がある。現状のペースが続けば目標達成は困難であり、今後、より抜本的な対策の導入や、計画実行上のリスク管理が求められる。
Scope 2排出量削減の鍵となる再生可能エネルギーの導入に関して、富士フイルムHDは、2030年度までに購入電力の50%を再生可能エネルギー由来とすることを目指し、将来的には2040年度までに100%再生可能エネルギー化を目標としている。具体的な取り組みとして、国内外の主要生産拠点における自家消費型太陽光発電設備の導入が進められている。例えば、神奈川県の富士フイルムテクノプロダクツ小田原事業場や、米国のFUJIFILM Diosynth Biotechnologiesなどで導入事例がある。また、生産プロセスの最適化や高効率設備への投資を通じた省エネルギー活動も継続的に実施されている。2022年度の実績として、購入電力に占める再生可能エネルギー比率は21%に達した。
しかし、2022年度実績の21% と2030年度目標の50% の間には依然として大きなギャップが存在する。今後約8年間で再生可能エネルギー比率を倍以上に引き上げる必要があり、目標達成には相当規模の投資と調達努力が求められる。特に、同社はグローバルに事業を展開しているため、各地域における再生可能エネルギーの利用可能性、コスト、送電網の状況、政策支援といった外部要因に大きく依存する。オンサイト発電、電力購入契約(PPA)、再生可能エネルギー証書(REC)など、多様な戦略を組み合わせる必要があるが、その過程で価格変動リスクや調達の困難に直面する可能性も考慮する必要がある。
前述の通り、Scope 3排出量が同社のCO2排出量の大部分を占めるため、サプライチェーン全体での気候変動対策が極めて重要となる。富士フイルムHDは、サプライヤーに対して、独自のGHG排出削減目標の設定や再生可能エネルギーの利用を奨励するなどのエンゲージメント活動を行っている。サプライヤーCSR調査票などを通じて、サプライヤーの環境パフォーマンスを把握・評価する仕組みも導入している。SVP2030における製品ライフサイクル全体でのCO2排出量50%削減目標 は、必然的にサプライチェーンの上流(原材料調達)および下流(製品使用・廃棄)における排出削減を包含するものである。
サプライヤーへの働きかけ は重要であるが、その実効性は、同社が多様なサプライヤーに対してどの程度の影響力を行使できるか、また、サプライヤーが脱炭素化を進める上でのインセンティブをどの程度提供できるかにかかっている。特に、中小規模のサプライヤーや、再生可能エネルギーインフラが未整備な地域のサプライヤーにとっては、脱炭素化への投資は大きな負担となり得る。したがって、単なる要請や調査票の実施に留まらず、より深い協働関係の構築、技術支援、共同投資、あるいは環境パフォーマンスに基づく優先的な調達戦略といった、より踏み込んだ施策の展開が、Scope 3削減目標達成の鍵となる可能性がある。
富士フイルムHDは、気候変動が事業に与える財務的影響に関する情報開示の重要性を認識し、2022年度に気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言に賛同した。これに基づき、ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標といったTCFDの枠組みに沿った情報開示を開始している。気候関連のリスクと機会の特定、およびそれらが事業に与える影響を評価するためのシナリオ分析も継続的に実施している段階にある。TCFDへの対応は、投資家やステークホルダーに対し、気候変動が同社の財務状況や経営戦略に与える潜在的な影響についての透明性を高める上で重要である。
TCFD提言への賛同表明 は重要な第一歩であるが、その価値は、開示される情報の質、特にシナリオ分析の深度と、その分析結果が具体的な経営戦略やリスク管理策にどの程度統合されているかによって決まる。初期段階のTCFD開示では、しばしば定量的な財務影響評価が不足する傾向が見られる。したがって、富士フイルムHDのTCFD対応を評価する際には、賛同表明だけでなく、開示内容、特に異なる気候シナリオ(例:1.5℃、4℃)下での財務的影響(炭素価格導入の影響、物理的リスクによる損害コスト、移行に伴う市場機会の規模など)の定量化と、それに基づく戦略的な対応策がどの程度具体的に示されているかを精査する必要がある。
限りある資源の有効活用と廃棄物削減は、持続可能な社会構築のための重要な課題である。富士フイルムHDは、製品ライフサイクル全体を通じて資源効率を高め、サーキュラーエコノミーへの移行に貢献することを目指している。
SVP2030では、製品ライフサイクル全体で発生する廃棄物の量を、2030年度までに2019年度比で30%削減するという目標を設定している。この目標達成のため、製造拠点における廃棄物発生量の削減、リサイクル率の向上、製品設計段階での解体・リサイクルの容易化などが進められている。具体的な取り組み例として、使用済みPETボトルを写真印画紙用材料の一部として再利用する技術や、インスタントカメラ「写ルンです」や医療用イメージングプレート(IP)などの使用済み製品の回収・リサイクルシステムの構築・運用が挙げられる。2022年度の実績としては、廃棄物発生量は2019年度比で6%削減された。
しかし、CO2排出量目標と同様に、2022年度時点での廃棄物削減率6% は、2030年度の30%削減目標 に対して、進捗がやや緩慢であるように見受けられる。特に、目標が「製品ライフサイクル全体」を対象としている点を考慮すると、製造プロセスでの削減努力に加え、製品使用後の廃棄物管理という、同社が直接コントロールしにくい領域での削減が大きな課題となる。ポストコンシューマー廃棄物の回収・リサイクルは、社会的な回収インフラの整備状況や消費者の行動に大きく依存するため、目標達成には製品設計の抜本的な見直し(例:耐久性向上、修理可能性向上)、新たなビジネスモデル(例:製品のサービス化、リース)、廃棄物処理事業者との広範な連携などが不可欠となる可能性がある。現状の進捗率からは、これらのより複雑でシステム的な変革がまだ初期段階にあるか、あるいは実行上の障壁に直面している可能性が示唆される。
水は、特に化学製品や材料の製造プロセスにおいて不可欠な資源であり、その効率的な利用と管理は事業継続性の観点からも重要である。富士フイルムHDは、SVP2030において、自社拠点における水使用量を2030年度までに2019年度比で30%削減する目標を掲げている。この目標に向け、生産工程での水使用量の最適化、水のリサイクル技術の導入、排水の水質管理徹底などの取り組みが行われている。また、グローバルな主要拠点において水リスク評価を実施し、水ストレスの高い地域でのリスク低減策にも注力している。2022年度の水使用量は、2019年度比で10%削減された。さらに、国際的な環境情報開示プラットフォームであるCDPの水セキュリティに関する質問書に対しては、2023年に「B」スコアを獲得している。
2022年度の10%削減 は、30%削減目標 に対して、廃棄物やライフサイクルCO2の進捗と比較して良好なペースを示している。これは、自社工場内での水効率改善策が比較的実施しやすく、優先的に取り組まれてきた結果かもしれない。しかし、CDPスコアが「B」 であることは、管理体制は整っているものの、最高評価である「Aリスト」企業と比較すると、改善の余地があることを示している。CDP評価は、自社拠点での効率化だけでなく、バリューチェーンにおける水リスク評価、ガバナンス体制、流域レベルでの保全活動への貢献など、より広範な側面を考慮する。したがって、「B」スコアは、サプライチェーンにおける水管理の深化や、地域コミュニティと連携した水資源保全活動など、富士フイルムHDが水戦略をさらに強化しうる潜在的な領域を示唆している可能性がある。
製品ライフサイクル全体での資源効率向上は、ライフサイクルCO2排出量削減目標 や廃棄物削減目標 と密接に関連する。富士フイルムHDは、製品設計段階から資源効率を考慮し、使用する原材料の削減、製品の長寿命化、リサイクル材や再生可能資源の利用拡大などを推進している。具体的な製品例としては、軽量化を実現した医療機器や、輸送効率を高めるための高濃度化された化学薬品などが挙げられる。これらの取り組みは、製造プロセスだけでなく、製品そのものに内在する環境負荷を低減する上で重要である。
真のライフサイクル資源効率を達成するには、単なる材料削減やリサイクル容易化といった改善に留まらず、製品の設計思想やビジネスモデルそのものを変革し、製品の長寿命化、修理・再利用、回収・再資源化を前提としたシステムを構築することが求められる。提示されている事例 は前向きな取り組みであるが、これらが個別の改善に留まっているのか、あるいはサーキュラーエコノミーの原則が製品開発プロセス全体に体系的に組み込まれているのか、さらなる検証が必要である。例えば、製品のサービス化(PaaS)モデルの導入や、修理・アップグレードを容易にするモジュラー設計の広範な採用といった、より進んだ取り組みの有無が注目される。
富士フイルムHDの廃棄物削減、リサイクル推進、製品ライフサイクル設計 における取り組みは、広義にはサーキュラーエコノミーへの貢献と位置づけられる。特に、印刷用プレートのように、使用済み製品を回収し、再び原材料として利用するクローズドループ・リサイクルのシステムは、サーキュラーエコノミーの理念を具体化したものと言える。また、リサイクル材を使用した製品の開発も進められている。
ただし、現状の取り組み をサーキュラーエコノミーのヒエラルキー(優先順位)に照らして見ると、リサイクルや廃棄物削減といった、「ループを閉じる」段階や「効率化」の段階に重点が置かれているように見受けられる。製品の共有(シェアリング)、再利用(リユース)、修理、再製造といった、より上位の(資源価値を高く維持する)循環戦略については、取り組みの度合いが相対的に低い可能性がある。サーキュラーエコノミーへの移行を加速するためには、これらの上位戦略、特に医療機器や印刷システムといったB2B事業における耐久製品の再製造やサービス化モデルの可能性を、より積極的に検討することが期待される。
生物多様性は、健全な生態系サービスを通じて人間社会と経済活動の基盤を支えるものであり、その損失は事業活動にも影響を及ぼしうるリスクとして認識され始めている。富士フイルムHDは、事業活動と生物多様性の関わりを理解し、その保全に貢献することを目指している。
富士フイルムHDは、2009年に「生物多様性保全に関する基本方針」を制定している。この方針では、事業活動が生態系に与える影響を把握し、生物多様性への負の影響を最小限に抑えること、そして自然と共生できる社会の実現に貢献することをコミットメントとして掲げている。生物多様性に関する課題を監督するためのガバナンス体制も整備されている。
2009年という早い段階での方針策定 は評価できるものの、生物多様性への配慮が、気候変動対策(例:TCFD対応)ほどには、中核的な事業プロセスやリスク管理体制に深く統合されていない可能性が考えられる。これは多くの企業に共通する傾向でもある。生物多様性への影響は、地域固有性が高く、定量化が難しい側面があることや、生物多様性に関する情報開示や目標設定の枠組み(例:自然関連財務情報開示タスクフォース - TNFD)がTCFDに比べて比較的新しいことなどが背景にある。したがって、方針の存在だけでなく、それが具体的にどのように事業運営(例:サプライヤー選定、研究開発、土地利用計画)に反映されているか、例えば、生物多様性に関するリスク評価の実施状況、定量的な目標設定の有無、調達プロセスへの組み込み度合いなどを確認することが重要となる。
富士フイルムHDは、事業活動が生物多様性に与える影響を評価し、配慮する取り組みを進めている。主な評価対象としては、工場などの事業用地における土地利用、水質汚濁を防ぐための排水管理、そして原材料調達 が考えられる。具体的な活動として、工場敷地内の緑化推進や、地域の生態系に配慮した排水管理などが挙げられる。
これらの取り組みは重要であるが、影響評価の焦点が主に自社工場の敷地といった直接的な事業活動範囲(オペレーショナル・フットプリント)に置かれている可能性がある。一方で、より広範かつ深刻な生物多様性への影響は、しばしばサプライチェーンの上流、すなわち原材料の調達段階(例:紙製品の原料となる木材パルプの伐採、電子部品や機能性材料に使用される鉱物資源の採掘、化学製品やバイオ医薬品の原料となる可能性のある農産物や生物資源の利用)に存在する。鉱業、林業、農業といった活動は、世界的な生物多様性損失の主要な要因である。富士フイルムHDの多様な事業は、様々な原材料に依存しているため、包括的な生物多様性戦略は、工場周辺の管理や排水対策に留まらず、サプライチェーンの深部にまで及ぶ必要がある。
サプライチェーンにおける生物多様性リスクに対応するため、富士フイルムHDは「生物多様性に配慮した調達活動に関するガイドライン」を策定している。このガイドラインに基づき、特に生物多様性への影響が大きいとされる紙製品の原料(木材パルプ)について、サプライヤー調査票や森林認証制度(FSC認証など)の確認を通じて、調達する原材料の合法性や持続可能性を確認している。また、より広範なサプライヤーCSR評価の枠組みの中でも、生物多様性への配慮が項目として含まれている。
木材パルプ に焦点を当てた取り組みは適切であるが、包括的なリスク管理のためには、富士フイルムHDが使用する他の主要な原材料(例:電子・材料分野で使用される鉱物資源、ヘルスケア・化学分野で使用される可能性のある生物由来原料)に関連する生物多様性リスクも特定し、管理する必要がある。現在のガイドラインが、これらの多様なリスクを十分にカバーしているか検討の余地がある。異なる原材料は、それぞれ異なる生物多様性フットプリント(例:紛争鉱物問題、水資源を大量に消費する農業)を持つ。効果的なリスク管理には、主要な原材料のサプライチェーンをマッピングし、関連する生物多様性への依存度と影響度を評価することが求められる。サプライヤー調査票 への依存だけでは、特にリスクの高い原材料については、十分なトレーサビリティや検証が伴わない限り、保証が不十分となる可能性がある。
富士フイルムHDは、事業活動による影響緩和とは別に、直接的な生物多様性保全活動や社会貢献活動も行っている。例として、森林保全プロジェクトへの参加、環境NGOへの支援、従業員による生物多様性関連のボランティア活動などが挙げられる。
これらの活動は、企業の社会的責任(CSR)を示すものであり、ポジティブな評判形成に寄与するが、自社の事業活動やバリューチェーンから生じる負の影響を削減する取り組みとは区別して評価する必要がある。真のサステナビリティ・リーダーシップは、外部プロジェクトへの資金提供だけでなく、生物多様性への配慮を中核的な事業戦略やリスク管理に統合することによって示される。特に投資家などのステークホルダーは、慈善活動と事業活動における環境負荷低減努力を区別し、後者の実効性を重視する傾向が強まっている。したがって、評価においては、独立した保全貢献活動よりも、バリューチェーン全体での影響緩和策の実効性に重点を置くべきである。
環境問題は、企業にとってリスク要因であると同時に、新たな事業機会を創出する可能性も秘めている。本章では、富士フイルムHDが直面する可能性のある環境関連のリスクと、環境経営を通じて得られる事業機会について分析する。
気候変動の進行、資源制約の顕在化、生物多様性の損失といった環境問題は、規制、市場、物理的側面、評判など、様々な形で企業経営にリスクをもたらす。
世界各国で気候変動対策が強化される中、炭素価格制度(カーボンプライシング)の導入や拡大、排出基準の厳格化といった規制リスクが高まっている。また、サーキュラーエコノミーへの移行を促す法規制(例:資源効率基準、拡大生産者責任(EPR)制度)や、特定の化学物質の使用制限(例:欧州のREACH規則、PFAS規制)、さらにはTNFDの議論進展に伴う将来的な生物多様性関連規制なども、富士フイルムHDの事業活動に影響を与える可能性がある。同社自身もTCFD提言に基づく分析の中で、これらの移行リスクを認識している。加えて、環境意識の高まりによる市場の嗜好変化、すなわち、より環境負荷の低い製品やサービスを求める消費者や顧客(特にB2B)の増加も、対応が遅れれば市場シェアを失うリスク(市場リスク)となる。
富士フイルムHDが写真フィルム事業からヘルスケアや高機能材料へと事業ポートフォリオを多角化・転換してきたことは、同社が直面する環境規制リスクの範囲を広げ、複雑化させている側面がある。例えば、ヘルスケア事業では医療廃棄物の適正処理、バイオ医薬品製造における環境管理、ライフサイエンス分野での遺伝子組換え生物の取り扱いなど、イメージング事業とは異なる特有の規制に対応する必要がある。同様に、マテリアルズ事業では、多種多様な化学物質の製造・使用に伴う安全性評価や排出管理が求められる。このように、複数の異なる規制環境下でグローバルに事業を展開するには、各分野の最新の規制動向を的確に把握し、遵守するための高度で適応性の高い管理体制が不可欠となる。規制遵守の失敗は、罰金、操業停止、そして特に成長領域であるヘルスケアやマテリアルズ分野における深刻な評判低下につながりかねない。
気候変動に伴う物理的リスクには、台風や洪水といった異常気象の激甚化による短期的(Acute)なリスクと、平均気温の上昇や渇水リスクの増大といった長期的(Chronic)な変化によるリスクがある。これらは、製造拠点や物流網への直接的な被害、水不足による操業制限、気温変化による生産プロセスへの影響、サプライチェーンの寸断などを引き起こす可能性がある。富士フイルムHDは、TCFD提言に基づくリスク分析 や、主要拠点での水リスク評価 を通じて、これらの物理的リスクの把握に努めている。
同社がグローバルに製造拠点を有していること を踏まえると、直面する物理的リスクは地理的に多様である。例えば、沿岸部の拠点では海面上昇や高潮のリスク、乾燥地域の拠点では渇水リスク、特定の地域では暴風雨の激甚化リスクなどが考えられる。したがって、包括的なリスク評価のためには、個々の重要拠点や主要サプライヤーの所在地における詳細な気候変動予測に基づいた、サイト固有のリスク分析が必要となる。さらに、サプライチェーン内の相互依存性も考慮する必要がある。ある地域での気候災害が重要なサプライヤーに影響を与え、それがグローバルな供給網全体に波及する可能性も無視できない。TCFDに基づく開示 において、このような詳細度での分析と対応策が示されているかが、リスク管理の成熟度を測る上で重要となる。
競合他社がより環境性能の高い製品を市場に投入したり、富士フイルムHDが顧客や投資家から期待されるESGパフォーマンス水準を満たせなかったりした場合、市場シェアの喪失やブランドイメージの低下といったリスクに直面する。特にB2B取引においては、顧客企業が自社のサプライチェーン全体の環境負荷削減を重視する傾向が強まっており、サプライヤーの環境パフォーマンスが選定基準となるケースが増えている。また、投資家はESG評価を投資判断の重要な要素としており、CDP、MSCI、FTSE Russell といった主要なESG評価機関からの評価が低い場合、資金調達コストの上昇や、ESG重視ファンドからの投資対象除外といったリスクにつながる可能性がある。さらに、優秀な人材の獲得・維持においても、企業の環境・社会に対する姿勢が重要な要素となっているため、評判リスクは人材獲得競争力にも影響しうる。
富士フイルムHDが伝統的な写真事業からヘルスケアやマテリアルズへと事業の軸足を移したことは、同社の評判が比較される対象(ピアグループ)を変化させた。かつては主にキヤノンやコニカミノルタといったイメージング企業と比較されていたが、現在は、事業規模の大きいヘルスケア分野ではジョンソン・エンド・ジョンソンやシーメンスヘルシニアーズのような製薬・医療機器大手、マテリアルズ分野ではBASFやダウのような化学大手とも比較される可能性がある。これらの業界では、医薬品のライフサイクル全体での環境影響、化学物質の安全性、エネルギー多消費型製造プロセス、プラスチック使用問題など、イメージング業界とは異なる、あるいはより厳しいESG課題に対するステークホルダーの期待が存在しうる。したがって、富士フイルムHDは、新たな事業領域における業界リーダー企業のESGパフォーマンス水準を意識し、それに応じた情報開示やコミュニケーション戦略を展開していく必要がある。これにより、評判リスクはより多面的かつ高度な管理が求められるようになっている。
環境課題への取り組みは、リスク管理の側面だけでなく、コスト削減、イノベーション促進、新たな市場の創出、ブランド価値向上といった事業機会にもつながる。
省エネルギー活動 は光熱費の削減に、水使用量の削減 は水関連コストの低減に、廃棄物の削減・リサイクル は処理コストの削減や有価物売却収入につながる。原材料使用量の削減や歩留まり向上といった資源効率の改善も、直接的なコスト削減効果をもたらす。これらの「エコ効率」の追求は、環境負荷低減と経済的利益を両立させる基本的なアプローチである。
富士フイルムHDが長年培ってきた高度な技術力、特に材料科学、精密化学合成、光学技術などは、環境課題解決に貢献する新たな製品やサービスの開発に応用できる可能性がある。同社は、社会全体の環境負荷低減に貢献する製品を「Green Value Products」として認定し、その売上拡大を目指す取り組みを進めている。具体的な例としては、省エネルギーに貢献する高機能フィルム、再生可能エネルギー関連部材、より少ない資源で高精度な診断を可能にする医療システムなどが考えられる。SVP2030では、このGreen Value Productsの売上高比率に関する目標も設定されている。環境規制の強化や消費者の環境意識の高まりは、このような環境配慮型製品・サービスに対する需要を拡大させ、新たな市場を創出する追い風となる。
特に注目すべきは、写真フィルム事業で培われたコア技術(例:薄膜塗布技術、精密な化学合成技術、光学設計技術)が、環境課題解決のためのソリューション開発に高い親和性を持つ点である。例えば、水処理やCO2分離回収に用いられる高機能膜、次世代電池用部材、エネルギー効率の高いディスプレイ用材料など、成長が期待されるグリーン市場において、同社の技術的優位性を活かせる可能性は大きい。Green Value Products認定制度 は、同社がこの機会を認識していることを示しているが、この取り組みが全社的な成長戦略の中でどの程度中心的な位置づけにあるのか、さらなる分析が求められる。
優れた環境パフォーマンスと積極的な情報開示(例:TCFDへの対応、CDPなどの外部評価での高評価獲得)は、企業のブランドイメージ向上に貢献する。これは、環境意識の高い消費者からの支持獲得、B2B顧客との関係強化、優秀な人材の獲得・維持、投資家からの信頼向上、地域社会との良好な関係構築など、様々な形で企業価値を高める。特に、ESG投資の拡大に伴い、投資家との建設的な対話(エンゲージメント)を通じて、環境戦略への理解と支持を得ることは、企業価値の維持・向上にとってますます重要になっている。
CO2排出量削減、資源循環の実現、有害物質の代替といった環境課題への挑戦は、既存のプロセスや製品を見直し、新たな技術やビジネスモデルを創出する契機となる。例えば、よりエネルギー効率の高い製造プロセス の開発、リサイクル材の利用拡大や製品の長寿命化を可能にする材料技術や設計手法の開発、環境負荷の低い代替物質の開発などが挙げられる。Green Value Products の開発自体も、環境課題を起点としたイノベーションの一例である。環境制約をイノベーションのドライバーとして捉え、研究開発活動に積極的に取り組むことが、将来の競争優位性確保につながる。
富士フイルムHDの環境パフォーマンスを評価し、今後の戦略を検討する上で、同社が属する業界における先進企業の取り組みをベンチマークすることは有益である。本章では、イメージング、マテリアルズ、ヘルスケアの各業界における先進的な環境への取り組み事例を分析する。
イメージングおよびマテリアルズ業界においては、キヤノン、コニカミノルタ、リコー といった競合企業や、BASF、DSMといった化学・素材大手が、それぞれ特色ある環境への取り組みを進めている。例えば、キヤノンは製品リサイクル、特にカートリッジや複合機の回収・再資源化に力を入れており、生産拠点での省エネルギー活動も積極的に推進している。コニカミノルタは、環境中期計画において「カーボンマイナス」という野心的な目標を掲げ、サーキュラーエコノミーの推進、化学物質管理の強化、気候変動対策に重点を置いている。リコーは、複写機などの製品ライフサイクル全体での環境負荷低減を目指す「コメットサークル」構想の下、長年にわたり製品リユース・リマニュファクチャリング(再生)事業を展開しており、業界におけるサーキュラーエコノミーの先駆者と見なされている。また、リコーは野心的な気候変動目標も設定している。マテリアルズ業界の企業では、サプライチェーン全体でのScope 3排出量削減目標の設定と実行、バイオベース原料やリサイクル原料の利用拡大、製品ポートフォリオのサステナビリティ評価(例:BASFのSustainable Solution Steering)などが先進的な取り組みとして挙げられる。
これらの事例の中で、特にリコーが長年にわたり実践してきたリマニュファクチャリング は、富士フイルムHDにとって示唆に富む可能性がある。リマニュファクチャリングは、単純なマテリアルリサイクルよりも製品価値を高く維持し、環境負荷も低減できる、より高度な循環戦略である。リコーの「コメットサークル」 は、製品中心の循環型システム構築の成功例として知られている。富士フイルムHDも複合機や医療機器といった耐久製品を製造・販売しており、これらの分野でリマニュファクチャリングモデルを導入・拡大することは、資源生産性の向上と顧客への新たな価値提供につながる可能性がある。同社の現在の使用済み製品回収・リサイクル活動 とリコーのモデルを比較検討することで、サーキュラーエコノミー戦略を深化させるための具体的な方策が見えてくるかもしれない。
富士フイルムHDの重要な成長ドライバーであるヘルスケア事業に関連して、ジョンソン・エンド・ジョンソン、シーメンスヘルシニアーズ、ロシュといったグローバルヘルスケア企業の先進事例も参考となる。これらの企業では、医薬品の製造・包装・廃棄段階における環境負荷削減(例:グリーンケミストリーの導入、包装材のサステナブル化、環境中への医薬品有効成分(API)排出削減)、医療機器におけるサステナブルな材料調達と設計、バイオ医薬品製造におけるエネルギー効率改善と水使用量削減、製品使用段階での環境影響低減(例:吸入器の推進剤変更)などが重要な取り組みとなっている。
ヘルスケア業界のリーダー企業は、製品ライフサイクル全体を通じた環境影響(プロダクト・スチュワードシップ)、特に医薬品や医療機器の使用・廃棄段階での影響や、医療へのアクセスといった社会課題と環境課題の統合的な取り組みについて、ステークホルダーから強い関心を持たれている。例えば、使い捨て医療機器から生じるプラスチック廃棄物問題や、環境中に排出された医薬品成分が生態系に与える影響などが課題として認識されている。したがって、富士フイルムHDのヘルスケア事業においても、単に製造段階の環境負荷を削減するだけでなく、製品の包装、使用、廃棄に至るまでのライフサイクル全体を視野に入れた環境配慮設計や、使用済み製品の回収・処理スキームの構築などが、今後ますます重要になると考えられる。先進企業の報告書では、これらの点に関する詳細なプログラムや目標が示されている場合が多く、富士フイルムHDの開示と比較検討する価値がある。
特定の業界に限らず、先進的な企業が導入している環境経営のベストプラクティスも存在する。例えば、社内炭素価格(インターナルカーボンプライシング)制度の導入による投資判断への気候変動リスクの組み込み、自然資本に関する科学的根拠に基づく目標設定(Science Based Targets for Nature: SBTn)への取り組み、ブロックチェーン技術などを活用したサプライチェーンのトレーサビリティ向上(特に紛争鉱物や生物多様性リスクの高い原材料)、自社拠点だけでなく流域レベルでの協働を含む先進的な水スチュワードシップ活動、役員報酬へのESGパフォーマンス指標の連動強化などが挙げられる。これらの先進的な取り組みは、富士フイルムHDが環境戦略をさらに進化させる上で参考となりうる。
これまでの分析を踏まえ、本章では富士フイルムHDが現在直面している環境パフォーマンス上の課題を特定し、持続可能な成長に向けた今後の重点分野や改善策について提言する。
富士フイルムHDは多くの先進的な取り組みを進めている一方で、さらなる改善が期待される課題も存在する。
分析の結果、同社のCO2排出量の大部分がScope 3に由来すること、また生物多様性への影響もサプライチェーン上流に潜在する可能性が高いこと が明らかになった。このことは、SVP2030で掲げられた野心的なライフサイクル目標 を達成するためには、複雑でグローバルなサプライチェーン全体にわたる環境負荷を、より深く、より実効的に管理する必要があることを示している。現状のサプライヤーエンゲージメント活動 はその一歩であるが、サプライヤーに対する透明性の確保、影響力の行使、そして具体的な削減行動を促すための協働体制の構築において、さらなる深化が求められる。
ライフサイクルCO2排出量および廃棄物発生量の削減目標 に対する2022年度時点での進捗率 は、目標達成に必要なペースと比較して、やや遅れが見られる。同様に、再生可能エネルギー導入率も、2022年度の21% から2030年度目標の50% へと引き上げるには、今後の取り組みを大幅に加速させる必要がある。これらの目標達成を阻む可能性のある障壁としては、技術的な制約、移行に必要なコスト(特に再生可能エネルギー調達コストや省エネ設備投資)、Scope 3排出量管理の複雑さ、外部環境への依存(例:各国のエネルギー政策、サプライヤーの対応能力)、そして社内的な推進体制や部門間の連携などが考えられる。これらの障壁を克服するための具体的な戦略と実行計画の明確化が課題となる。
富士フイルムHDはマテリアルズ事業やヘルスケア事業において多種多様な化学物質を取り扱っており、そのライフサイクル全体(開発、調達、製造、使用、廃棄)を通じた適切な管理は極めて重要である。同社は化学物質管理に関する方針を有していると考えられるが、グローバルな事業展開の中で、各国・地域の規制遵守を徹底し、サプライチェーン全体での管理レベルを維持・向上させることは継続的な課題である。また、PFAS(有機フッ素化合物)のように、社会的な懸念が高まっている新たな化学物質問題への対応も求められる。競合であるコニカミノルタが化学物質管理を重点課題の一つとして挙げていること も、この分野の重要性を示唆している。
上記の課題を踏まえ、富士フイルムHDが持続可能な成長を実現するために、以下の点を強化していくことを提言する。
SVP2030で設定された環境目標 を、各事業部門の戦略、予算配分、業績評価により深く統合し、経営層から現場まで一貫したコミットメントを確保することが重要である。特に、Scope 3排出量削減やサーキュラーエコノミーの推進といった部門横断的な課題に対しては、関連部署間の連携を強化し、具体的な実行計画を策定・推進する必要がある。2030年目標達成に向けた進捗の遅れが懸念される分野(ライフサイクルCO2、廃棄物、再生可能エネルギー)については、目標達成への道筋(ロードマップ)をより詳細に描き、必要な投資や施策の優先順位付けを行い、実行を加速させるべきである。
TCFD提言に基づく情報開示 については、特に気候変動シナリオ分析の定量的な評価(財務影響額など)や、分析結果に基づく具体的な戦略的対応に関する記述を充実させ、透明性を一層高めることが望ましい。サプライチェーンにおける気候変動、水、生物多様性 に関する管理体制、リスク評価、パフォーマンスデータについても、可能な範囲で開示を拡大し、説明責任を果たすべきである。投資家やNGOといったステークホルダーとの積極的な対話を通じて、取り組みの進捗や課題について共有し、理解と信頼を深めることが重要となる。将来的には、TNFDフレームワークの採用も視野に入れ、自然関連リスク・機会に関する情報開示を進めることを検討すべきである。
自社の強みである研究開発力を活かし、社会全体の環境負荷低減に貢献する「Green Value Products」 の開発や、製造プロセスにおけるエネルギー効率・資源効率の向上 に向けた技術革新への投資を継続することが不可欠である。脱炭素化、循環型材料、サステナブルな化学プロセスといった分野におけるブレークスルー技術の探索や、外部機関との連携・協業(オープンイノベーション)も積極的に推進し、環境課題解決と事業成長の両立を目指すべきである。
富士フイルムHDの環境パフォーマンスと戦略的位置づけを客観的に評価するためには、主要な競合他社の動向と比較分析することが不可欠である。本章では、富士フイルムHDの主要事業セグメントにおける競合企業の環境戦略、取り組み、パフォーマンスを分析する。
富士フイルムHDの事業ポートフォリオを考慮し、主要な競合企業として、イメージング・オフィス機器分野ではキヤノン、コニカミノルタ、リコー、そしてイメージセンサーやエレクトロニクス分野で関連するソニーなどが挙げられる。ヘルスケア分野では、シーメンスヘルシニアーズ、ジョンソン・エンド・ジョンソンなどの診断機器・バイオ医薬品関連企業、マテリアルズ分野では主要な化学・素材メーカーが比較対象となりうる。これらの企業は、それぞれ独自の環境目標と戦略を掲げ、事業特性に応じた取り組みを進めている。
気候変動対策に関して、各社のGHG排出削減目標(目標水準、対象範囲(Scope 1, 2, 3)、SBTi認定の有無)、再生可能エネルギー導入目標と実績、Scope 3排出量削減に向けた戦略(サプライヤーエンゲージメント、製品使用段階での効率改善など)、TCFD提言への対応状況などを比較する。例えば、富士フイルムHDのScope 1, 2排出量50%削減目標(2030年度、2019年度比) に対し、キヤノン、コニカミノルタ、リコー がどのような目標を設定し、進捗しているかを比較検討する。また、社内炭素価格制度の導入状況や、サプライヤーへの働きかけの強度など、戦略アプローチの違いにも着目する。
資源循環に関しては、廃棄物削減目標、水管理戦略(目標、水リスク評価の範囲と深度、CDP Waterスコアなど)、サーキュラーエコノミーへの貢献度合い(製品の循環設計、使用済み製品の回収・リサイクル・リマニュファクチャリングの規模、再生材利用率など)を比較する。例えば、リコーの長年にわたるリマニュファクチャリング事業、コニカミノルタのサーキュラーエコノミーへの強いコミットメント、キヤノンの製品リサイクルシステム など、各社の強みや特徴的な取り組みを明らかにし、富士フイルムHDの取り組み と比較評価する。
生物多様性保全については、各社の基本方針、事業活動における影響評価の方法論、サプライチェーン(特にリスクの高い原材料)におけるリスク管理アプローチ、具体的な保全活動などを比較する。競合他社がTNFDへの対応や定量的な生物多様性目標の設定を進めているかどうかも注目点である。これらの情報を、富士フイルムHDの方針 や調達ガイドライン と比較し、相対的な取り組みの進捗度や課題を考察する。
公開されているサステナビリティレポートなどの情報に基づき、富士フイルムHDと主要競合他社の環境パフォーマンスを示す主要業績評価指標(KPI)を比較分析する。例えば、売上高当たりのGHG排出量(排出原単位)、再生可能エネルギー導入率、水使用量原単位、廃棄物リサイクル率といった指標について、各社の数値を記述的に比較し、パフォーマンスレベルや改善傾向の違いを明らかにする。この比較を通じて、富士フイルムHDが業界内でどの程度のパフォーマンス水準にあるのか、また、どの分野で先行または遅れているのかを具体的に示す。例えば、富士フイルムHDが2022年度にScope 1および2排出量を2019年度比で8%削減した のに対し、キヤノンは…、リコーは… といった形で、具体的な数値を交えながら比較記述を行う。同様に、水使用量削減率(富士フイルムHDは10%削減)やリサイクル率についても、競合他社の公表データ と比較する。
企業の環境パフォーマンスは、CDP、MSCI、Sustainalyticsといった外部のESG評価機関によって評価され、スコアリングされている。これらのスコアは、投資家やその他のステークホルダーによる企業評価において重要な役割を果たしている。本章では、主要なESG評価機関による富士フイルムHDの評価を概観し、競合他社との比較を通じて、同社の相対的な位置づけを分析する。
富士フイルムHDは、複数の主要なESG評価機関から評価を受けている。国際的な環境情報開示プラットフォームであるCDPにおいては、2023年の評価で気候変動分野で「A-」(リーダーシップレベル)、水セキュリティ分野で「B」(マネジメントレベル)のスコアを獲得している。これは、気候変動対策において高いレベルの取り組みが認められている一方で、水管理に関してはさらなる改善の余地があることを示唆している。また、同社は、世界的なESG投資指標である「Dow Jones Sustainability World Index」および「Dow Jones Sustainability Asia Pacific Index」の構成銘柄に長年にわたり選定されている。さらに、日本国内の代表的なESG指数である「FTSE Blossom Japan Index」、「FTSE Blossom Japan Sector Relative Index」、「MSCIジャパンESGセレクト・リーダーズ指数」、「MSCI日本株女性活躍指数(WIN)」、「S&P/JPXカーボン・エフィシェント指数」 の構成銘柄にも選定されている。サプライヤーのサステナビリティ評価プラットフォームであるEcoVadisからは、最高評価である「プラチナ」を獲得している。これらの評価や指数への選定は、同社のESG全般、特に環境分野における取り組みが、国際的および国内的に高い水準にあると外部から認識されていることを示している。
富士フイルムHDのESG評価を、第5章で特定した主要な競合他社(キヤノン、コニカミノルタ、リコー など)の評価と比較分析する。例えば、CDPスコアについて、富士フイルムHDの気候変動「A-」、水セキュリティ「B」 に対し、競合他社がどのようなスコアを獲得しているかを比較する。コニカミノルタはDJSI World構成銘柄に長年選定され、CDP気候変動Aリストにも選定されるなど、高い評価を得ている。リコーもCDP気候変動Aリスト選定やEcoVadis「ゴールド」評価など、優れた実績を持つ。MSCIやSustainalyticsといった他の主要な評価機関によるレーティング(公開されている範囲で)についても同様に比較し、相対的な強みと弱みを記述的に明らかにする。EcoVadisの評価 についても、同業種内での相対的な位置づけを確認する。
これらのスコア比較から、富士フイルムHDの環境パフォーマンスに関する外部評価上の特徴が明らかになる。CDP気候変動における「A-」評価 や、多数の主要ESG指数への継続的な選定 は、同社の環境戦略と実績が全体として高く評価されていることを示している。一方で、CDP水セキュリティにおける「B」評価 は、競合他社の中に「A」評価を獲得している企業が存在する可能性を考慮すると、水資源管理が相対的な改善領域であることを示唆している。EcoVadisでの「プラチナ」評価 はサプライチェーン管理を含むサステナビリティ全般でのリーダーシップを示唆するものである。これらのベンチマーキング結果は、投資家からの見られ方やブランド評判に影響を与える可能性があり、同社が今後、どの分野に重点を置いて改善努力を続けるべきかを示唆するものである。高い評価を維持・向上させるためには、継続的な取り組みとパフォーマンスの改善、そして透明性の高い情報開示が不可欠となる。
本レポートでは、富士フイルムHDの環境への取り組みを、気候変動、資源循環、生物多様性の3つの側面から包括的に分析した。同社は、SVP2030の下でSBTi認定を受けた野心的な気候変動目標を設定し、TCFD提言への対応を進める など、気候変動対策に積極的に取り組んでいる。資源循環においても、廃棄物削減や水使用量削減の目標を設定し、製品リサイクル や水リスク管理 を推進している。生物多様性に関しても、基本方針 や調達ガイドライン を定め、保全への配慮を進めている。これらの取り組みは、CDP評価 や主要なESG指数への選定 にも反映されており、全体として高いレベルの環境パフォーマンスを示している。
しかしながら、いくつかの課題も明らかになった。特に、ライフサイクル全体でのCO2排出量や廃棄物の削減目標 に対する進捗ペースの加速、Scope 3排出量やサプライチェーンにおける生物多様性リスクといったバリューチェーン全体での環境負荷管理の深化、そして水セキュリティ管理 のさらなる向上が今後の重要な課題となる。競合他社との比較においても、リコーのリマニュファクチャリング やコニカミノルタのサーキュラーエコノミー戦略 など、参考にすべき先進的な取り組みが見られた。
総括すると、富士フイルムHDは、環境課題に対して体系的かつ意欲的に取り組んでおり、業界内でも先進的な位置にあると評価できる。しかし、目標達成と持続可能な成長の実現に向けては、サプライチェーン全体を巻き込んだ取り組みの強化、イノベーションの加速、そしてステークホルダーに対する透明性の一層の向上が不可欠である。同社が持つ多様な技術力とグローバルな事業基盤を活かし、これらの課題に継続的に取り組み、環境リスクを管理しつつ新たな事業機会を捉えていくことが、今後の企業価値向上に繋がるものと期待される。